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  ところで、千葉県千葉市には 「 誉田 」 という町があって 「 ほんだ 」 と読み、 八幡社が町内にあるし、 JRの駅もある。 ところがその町から20キロぐらい離れた習志野市には、 今度は 「 こんだ 」 と読ませる 「 誉田八幡神社 」 がある。 奇しくも河内の応神天皇陵の南にある 「 誉田八幡宮 (こんだはちまんぐう) 」 と読み方が一致する。
  それもそのはず、 『 習志野市の この神社を建立したのは河内出身の市角一族で、 彼らは昔、 大阪の陣で豊臣方に加わり、 徳川家康と戦って破れ、 帰農してこの地を開墾したのだという ( 朝日新聞 1999/2/2 第2千葉版p-26 ) 』。
  「 ナルホド、 それで河内弁を下総の国に持ち込んだのか 」 というと、 そう単純ではない。
  河内出身の市角氏が習志野の大久保の村に新開地を開いておよそ200年、 あたかもかつての敵 ・ 徳川幕府の衰微を待っていたかのような安政2年(1855)、 河内の誉田八幡宮 (こんだはちまんぐう) から分祠勧請して、 この習志野の 誉田八幡神社 (こんだはちまん) が設立されたのだ。 この時期になって、 ようやくこれだけのことができるような力が付いたのかもしれない。

  誉田を 「 ほんだ 」 と読んだり 「 こんだ 」 と読んだりする、 千葉県の 「 こんな 」 話にも、 河内をはるかに離れた地で生きていく道を探らざるを得なかった、 市角一族の苦難の歴史が隠されているのだ。


全現代語訳・日本書紀(宇治谷孟/講談社学術文庫)、 朝日百科・日本の歴史A古代(朝日新聞社)、 日本歴史地名大系・千葉県の地名(平凡社)などから構成・作図
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