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 ・・・ 例えば ・・・ 幕末に姫路藩の上級武士の家に生まれた 「 古市公威 」 がある。彼のことは 書斎の雑記帳 No.8 に書いたが、明治政府の中枢にあって土木技術・土木行政に非凡の才をふるう一方、日仏協会長としてフランスとの文化交流にも大きな足跡を残すとともに日本の伝統芸能・謡曲能楽に堪能で玄人の域に達していたと言われる。

 高い文化的素養に恵まれた環境に育ったことが偲ばれることだ。

 これは私の空想だが、古市澄胤の末裔で茶道に秀でた者が姫路藩の酒井家に召し抱えられ、茶、あるいはそのほか諸々の伝統文化を担うことを託されたのではなかったか?、古市公威はそういう家に生まれたのではなかったか? ・・・と思う。
 彼の伝統文化についての多才ぶりは、澄胤のそれと二重写しになる。そういえば澄胤は 「 播磨 」 を通称としたが、実際の播磨の国の中心は姫路であった・・・これも二人を繋げてしまう一因か?

 そしてまた私の空想だが、江戸時代初期に、各地の大名に召し抱えられた古市を名乗る茶人がたくさんいたのかも知れない。肥後の細川家を筆頭に、毛利家にも、土佐の山内家にもいたかも知れない。九州各地にも・・・。そして彼らの多くは各地の文化の担い手や教育者として重用されたのではないか・・・