『 大河内国 』 とは、『 だい・かわちこく 』 もしくは 『 だい・かわちのくに 』 と読んでいただくための、ほとんど私の造語。
これは、本来なら、 『 凡河内国 ( おおし・こうちの・くに ) 』 と言い、また書くべきものだと思う。
大化の改新以前、ほとんど後に言う河内国・摂津国・和泉国三国相当の支配を行ったのが 『 凡河内国造(おおし・こうちの・くにの・みやつこ )』 だったことから、彼が支配した領域が 『 凡河内国(おおし・こうちのくに )』 と言われたわけで、そのように書かれることが、雰囲気の話だが8割程度以上あると思う。
別の書き方に、 『 汎河内国(おおし・こうちの・くに )』 がある。しかしこれは雰囲気的には1割程度か、というところ。
『 汎 』 には、汎愛、汎用、広汎、などの用例があることから、『 広い・広く 』 という認識があり、また 『 Pan-Americanism 』 が 『 汎米主義 』 と訳されるなどのことから、英語の 『 Pan 』 = 『 汎 』 との認識があり、意味合いからは 『 汎河内国 』 の表記がふさわしいかと思える。
しかしもともと 『 凡 』 の字には第一義に 『 すべて(みな、あわせて) 』 という意味があるのであって、それに 『 さんずい偏 』 を付けて派生させた文字・ 『 汎 』 は、『 ただよう、流れるさま、軽い 』 が序列の高い意味、ようやく第四義に 『 広い・あまねく=凡、氾 』、第五義はまた 『 (水が)あふれる=氾 』 となる (この字義の項、角川・新字源 より)。
『 汎河内国 』 は宜しいように見えて、『 広い・広く 』 という意味では 『 凡河内国 』 と変わりがなく、また 『 凡河内国 』 には 『 凡河内国造 』 という実体があるのに 『 汎河内国 』 にはそのような実体がないのが弱点だ。
もうひとつ、『 大河内国(おおし・こうちの・くに )』 という書き方もあるが、これも雰囲気1割程度以下と思う。『 大 』 でも 『 凡 』 でも、私の流儀では、本来中国語である漢字の違いには大して意味はなく、『 おおし・こうちの・くに 』 という日本語の話し言葉こそ重要と思うのだが、やはり 『 凡河内国造 』 という実体の有無の点では弱いと思う。
また川に囲まれた広い土地であろうか、『 大河内(おおこうち ) 』 という地名や、そこの名主(みょうしゅ )となった 『 大河内(おおこうち ) 』 氏は、全国どこにでもある。三重県にも愛知県にもある。源氏の系譜と名乗る者が多いようだが。このように、いろんなところに 『 大河内 』 があるなかで、『 凡河内 』 と書けば今の大阪府と一部の兵庫県地域と特定できる特徴がある。
ところで、人名、名字(みょうじ=苗字 )としての 「 凡河内 」 には、日本書紀・雄略天皇紀9年の条に、 『 凡河内直 香賜(おおし・こうちの・あたい・かたぶ )』 がある。激しい気性だった雄略天皇のご機嫌を損ない、殺される。
また 『 広辞苑 』 にも出ている人名で、平安期の歌人・ 『 凡河内 躬恒(おおし・こうちの・みつね )』 がある。三十六歌仙の一人で、 『 心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 』 の歌が百人一首に採録されている。
・・・大きかったころの、河内の国 を表す言葉を子細に検討すると上記のようになり、この煩雑さを避けるために、また話を簡単にするために、 『 大河内国 ( だい・かわちこく ) 』 と言う言葉を、ほとんど造語した次第。
「ほとんど」 というのは、上記でおわかりのように、雰囲気で1割程度の割合では従前からあった言葉として良い、というところ。
FURUICHI, Makoto 2013/01/11 |
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