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談話室 第1話 蛇足 〜虹によせて〜


 私はホームページに「虹の」という形容詞を付けてみました。虹にはちっぽけな自分を、はるかな世界につなげてくれる架け橋、というイメージがあるのですが、ここでは虹によせて、全く趣味的な、蛇足そのもののお話を申し上げます。

 虹は、古代中国では、龍の種族の一つと考えられていました。ヨーロッパのファンタジーでは龍は邪悪な幻獣として登場してきますが、インドや中国の龍は神聖な霊獣と考えられています。そして古代中国のお話には、実にたくさんの龍が登場してくるのです。たとえば、
 

 

「羽嘉は飛龍を生み、飛龍は鳳凰を生み、鳳凰は鸞鳥を生み、鸞鳥 は庶鳥を生んだ。すべて羽のあるもの、すなわち鳥類はこの庶鳥 から生まれた。また、毛犢は応龍を生み、応龍は建馬を生み、建 馬は麒麟を生み、・・・・(獣類の祖)。・・・・」
 

 淮南子のこの一文に、鳥、獣、魚、甲殻類(亀など)の祖として、飛龍、応龍、蛟龍、先龍が登場します。また鳳凰も麒麟も出てきます。

 虹(コウ)は、蛇のような体の前後(どちらが前か後ろかは区別できない)に頭を付けた双頭の龍で、常は天上に住んでおり、時折地上に水を飲みに降りてくるものと考えられていました。

・・・・大雨が上がって地上が水浸しになっているとき、天上から双頭の龍が舞い降りてきて、川や水たまりに二つの頭をつっこんで水を飲む・・・・そのとき蛇身の龍体は空中に弓なりになって、七色の光を放っている・・・・

 なんてすばらしい想像力の賜物でしょうか。


 虹(にじ)のことを虹霓(コウゲイ)とも言います。(霓は、古くは雨冠をとって旁にし、虫偏を付けた字を使った(左をご参照)。パソコンにこの字がないので、とりあえず 霓 の字で話を進めます)

 虹(コウ)は雄で「にじ」の内側の部分、霓(ゲイ)は雌で「にじ」の外側の部分、と言われています。「にじ」は条件がよいと、本当の「にじ」の外側に、配色が逆になった副虹が見えるます。昔は大気汚染はなかったでしょうから、古代人はにじの主虹と同時に、副虹をたびたび見たのでしょう。
 主虹と副虹は配色が逆ですから、見方によっては雌雄の「にじ」が背中合わせでそっぽを向いているか、またはおなかを向かい合わせているかのどちらかですが、・・・古代中国の人はエロチックな方の見方を採用したと思います。


 古代中国人は、空を覆い、激しい雨を降らす黒雲や、稲妻、はたまた凶暴な力をあらわす竜巻の中に、人知を越えた通力をもつ龍を見たのでしょうが、それと同じような意味合いで、雨上がりの空に不思議に輝く”にじ”に虹霓(コウゲイ)という龍の一族を見たのでしょう。  
 古代中国人が空想した霊獣のなかで、雌雄の別があるのは、ここで述べた虹霓のほか、麒麟、鳳凰があります。虹霓が間違いなく非常な自然現象をもとに想像されたのに対し、麒麟、鳳凰などは鹿や鳥など想像の素材はわかるものの、どうも存在感が薄いと思いませんか。

 麒麟は『 皇帝が善政を施くと天書をくわえて出現して、それを皇帝に与えた 』、と記述されるなど、その出現は瑞兆を示すものとされ、鳳凰もやはり善政の世に出現するものだそうです。したがつて麒麟も鳳凰もいたって政治的な妖怪で、現実に政治の評判を上げるために、『 どこそこに麒麟や鳳凰が現れた 』と意図的にうわさが流されたこともあったようです。


・・・・東洋のファンタジー愛好家の方、龍がお好きの方、妖怪ファンの方、メールをください。



おすすめ:
中国の妖怪
中野美代子/岩波新書/1983/1985第4刷

 龍の起源と系譜を求めて、いくつかの本を見たが、この本が一番良かった。「読んだ」と言えるのはこの本だけ。まず一般人にとって、読みやすい。それから中身についてもつっこんだ考察が加えてあり、深みがある。古文献の紹介・レビュー的な本が多い中で、出色。私の「蛇足」の一文も、多くをこの本から要約・引用させて頂いたものです。(もし誤った引用等ありましたらごめんなさい)
 この第1話をご覧頂いた方で、おもしろい本をご存じでしたら、ぜひ教えてください。

 これに対して虹霓は、古文書では瑞兆とするよりも凶兆とする記述のほうが多いそうで、やはり自然こそ恐るべし、ではないでしょうか。
 麒麟や鳳凰を手中にして、政治的に使役することができた皇帝も、自分の力の及ばないところで、現実に妖しく光り輝く虹霓を目の当たりにすれば、やはり恐れおののくほかなかったのでしょう。

 なお、虹(にじ)を蛇身双頭の龍になぞらえるのは中国ばかりではなく、西アジアやオーストラリアのアポリジニの神話にも出てくるそうです。

 さて、龍のイメージは蛇がもとになっています。蛇は見るからに気持ちの悪いものですが、脱皮して成長することから人々は不思議な再生の生命力を感じ、また毒蛇のひと咬みが人を死に追いやったり、あるいは神経毒の作用で人を異常な精神状態にさせるのを見て、不思議な神憑りの通力を感じたのでしょう。古来、蛇は神または神の使いと考えられ、古代の絵画などでは、しばしば角を生やした形でその霊性を象徴させて描かれています。

 蛇に角を生やし、さらに足を付けて龍が誕生しました。最初は龍は、竜巻、雷、稲妻、大雨、黒雲・・・・人間は理屈なしの恐怖感をおぼえ、また現実にその凶暴な力のためにしばしば傷つけられた(なんと蛇そのものの性質を保っていることか)・・・・が人間の網膜に焼き付けた、自然の力そのものでした。ところが龍はやがて麒麟や鳳凰と同じく中国の皇帝にとらえられ、飼い慣らされて帝室の紋章を飾ったり、お寺の境内で口から清水を吐いて、善男善女の手を清めるお手伝いをしたりと、すっか り人間に奉仕する立場になるのですが、龍の母たる蛇のほうは未だに野生を保ち続け、現実に人間を脅かしつづけています。

「蛇足」は「戦国策」に出てくる。  

 かくて蛇には、足ばかりでなく角も生えるというお話でした。おわり。





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FURUICHI, Makoto