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静岡県富士宮市の、富士山本宮浅間大社(せんげんたいしゃ)は、全国 1,300余社にのぼる 浅間神社(せんげんじんじゃ)の総本山で、厄除け、家内安全、身体健全のほか、交通安全、海上安全、操業安全や、大漁満足、商売繁盛、事業繁栄に霊験がある。ほかに登山安全、火難消除、安産、子宝にも。
富士山本宮浅間大社は当地の人々がたび重なる富士山の噴火に難渋してしたため、人皇第11代垂仁天皇が浅間大神(あさまのおおかみ)を富士山麓に祀られたことに始まる。理科年表で火山噴火の記録を見ると、平安時代のある時期、もっとも活動的な噴火を繰り返していたのが富士山だったことがわかる。したがって、厄除け、家内安全、火難消除の霊験は設置当初に最も求められたものだろう。またこの地は東国と京を結ぶ街道でもあったろうから、交通安全の霊験も当初からのものであるのではないか。 この地から海に向かったところが田子の浦である。漁民は海上から富士山がどのように見えるところで魚がよく取れるかを経験的に知っていて、それぞれの漁家の秘密の家伝として伝えてきたと思う。その意味で、漁民にとっては富士山は大切なものであったはずだ。そこから大漁満足、ひいては商売繁盛、事業繁栄、また操業安全といった霊験が加わっていったのだろう。
話がさかのぼるが、02年12月28日に山梨県富士吉田市の、北口本宮富士浅間神社
静岡県・富士宮の本宮も、山梨県・富士吉田の本宮も、『 浅間 』と書いて『 せんげん 』と読ませる。そればかりでなく、全国1,300余の『 浅間神社 』も『 せんげんじんじゃ 』であって、また『 せんげんさま 』と言い慣わさせている。これらを『 あさまじんじゃ・あさまさま 』と読もうものなら馬鹿にされるかしかられると言うことになる。
しかし静岡も山梨も、本宮はもと『 あさま・さま 』だった。静岡県神社庁のホームページでは、正式名称を『 富士山本宮せんげん大社 』とするが、御祭神を『 浅間大神(あさまのおおかみ) 』木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)とする。また神域にわき出る泉が作る『 湧玉池 』には、平安期の歌人・平 兼盛の『 つかふべき かずにをとらむ 浅間なる 御手洗(みたらし)川の そこにわく玉 』という歌が紹介されている。この『 浅間 』は『 あさま 』でなくてはならない。 山梨の北口本宮ではもっとはっきりしていて、神社が掲出する由緒書に『 元はあさまと言った 』とある。 広辞苑にも「せんげんじんじゃ(正しくは『 浅間 』はアサマと読む)」とある。もともと、『 あさま 』とは神聖な山を指して言ったものと言われている。私は更に、火を噴く恐ろしい山を『 あさま 』と言ったのではないかと思う。そういえば熊本県の阿蘇山は現在のわが国で最大の火山だ。その『 あそ 』の発音との関連性もなにやらありげにみえる。鹿児島県の桜島はひどい時期には1年で400回噴火したとも聞く。この山はわが国史上で最大の火山・『 姶良火山(姶良カルデラ) 』の縁辺にできた火山だ。この『 姶良 』は『 あいら 』と読む・・・。ここまで関係があるかどうかは別として、『 あさま・あそ 』というのは火を噴く恐ろしい山、まただからこそ神聖な山、という意味があったのではないかと想像する。 西暦1,000年を過ぎて次第に富士山の活動は静かになっていった。ちょうどそのころ、その近辺で活動性を高めていったのが群馬・長野県境の『 浅間山 』だった。富士山の活動が静かになってきたとき、にわかに火を噴き始めたこの山に、人々は『 あさま 』の名を与えたのではないだろうか。 しかしこの浅間山に、浅間神社はできなかった(あるかもしれないが・・・富士の浅間神社ほど有名ではない)。なぜなら、富士山が神道の山になったのに対して、この浅間山は修験道の山になったからだ、と推測する。修験道は平安期の流行である。 富士山には、『 ふじ 』の山の名と『 あさま 』の山の名があったと思う。『 あさま 』についてはすでに見てきたとおりだが、では『 ふじ 』の語源は? 最も有力なのはアイヌ語起源の、やはり『 火の山 』を意味するという説だろう。ごく自然な発想と考えられる。 ほかに二つと無い、『 不二 』から来た、とする説があるが、これは違うと思う。『 不二 』は中国語起源だから、富士山と名付けたのは中国人もしくは中国語を解する「文化人」となってしまう。このような「文化人」が富士山を発見するより先に、「 ふじ 」の山は存在したと思う。もっとも、「 相模 」を「 さがみ 」と読むのは大変古い中国の発音を映している、とも言うので、全く可能性がゼロではないかもしれない。 説はまだある。南方語起源で、『 海から抜きあげた山 』と言う説。もしくは『 海の近くからいきなり聳える山 』。しかしそれならば伊豆大島の三原山の方がふさわしいし、鳥海山にも『 ふじ 』の名が与えられてもよい。そのほか、わが国には海の近くからいきなり聳える山は、それこそ山ほどあるのだから、全国に富士山がなければならない。たしかに蝦夷富士とか津軽富士とか、いろいろ地域名を冠した富士はたくさんあるが、これは意味が違う。 最後にもう一つ、天孫降臨の『 くしふるのたけ 』の『 くし 』が『 ふじ 』になったという説。これは古事記・日本書紀起源説でもあるが、一方では古代朝鮮語起源とする説でもある。神話ファンはこの説に肩を持ちたくなるかもしれないが、しかし古事記や日本書紀の神話が作られるよりも古くから、または朝鮮系の人がこの地に入るより古くから、この地にはアイヌ系の人が住んでいて、自分たちの言葉でこの山を『 ふじ 』の山と呼んでいたのではないだろうか。 『 ふじ 』と『 あさま 』の呼称についていろいろ書いたが、『 ふじ 』の呼称にはアイヌ系=北方系=の、『 あさま 』の呼称には南方系の雰囲気があるような気がする。 関東地方に住んでいると冬晴れの日などには富士山が見えることが多い。車窓から夕映えの富士を見ることもある。そうすると、どうしても富士山ファンになってしまう。「このはなさくやひめ」がどのようなお人柄だったかは知らないが、その語感はたいへんさわやかなものだ。「木花之佐久夜毘売」、「木花開耶姫」、「木花咲夜姫」、「木花咲爺姫」、「此花咲耶姫」といろんな文字で書かれるが、「この字が好き」と議論する人もいる。そこまでいかなくても、富士山ファンは至る所にいる。 BACK FURUICHI, Makoto |