コミュニティー新聞・「ニューファミリーじょうばん」の「ふれあい交差点」の記事に誘われて、幸谷〜馬橋の社寺巡りをしてきた。
赤城神社 右は巨石に囲われた、樫の巨木
地図上では2つの寺院が並ぶように見えるが、実は一つの寺院で、東が慈眼山福昌寺の本院、西がその観音堂で、幸谷(こうや)観音として知られている。左がその幸谷観音のお堂。この社寺巡りで、幸谷の地名はかなり広い、もしくは広かったことに気が付いた。幸谷にはかつて幸谷城があって、1537年に小金の高城氏が築いたとされる。場所は福昌寺の北東とも、赤城神社の地とも言われる。
国道6号から目立つ社の杜が『蘇羽鷹』(そばたか)神社。『蘇羽鷹(そばたか)』様(もしくは曽場鷹大明神)は、北辰妙見様(北極星と北斗七星)とならび千葉氏の守り神だったが、明治になって、蘇羽鷹様も妙見様も、「実は国之常立神だった」とされ、正式なご祭神は『 国之常立神』 とされてしまった。明治政府は、神様は天神の系譜しか許さないという方針だったように見える。 しかし神社にある石碑には、「蘇羽鷹大明神」のみ記されていて、国之常立神の名は見えない。かつてはこの地に、馬橋城があったと伝えられる。
萬満寺の東に王子神社がある。萬満寺の守護神として創建され、王子権現を祀ったが、明治の神仏分離で独立の神社になった。左は王子神社から萬満寺本堂を望む。 今のご祭神は、幸江序命(さちえわけのみこと)、市杜島姫命(いちきしまひめのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)と記されている。いちきしまひめのみこと は、市寸島比売命 と書かれることが多いが。
松戸の馬橋の名の起こりとなった、「馬橋」という名の橋。長津川に架かり、旧水戸海道を通す。大雨のたびに橋が流されて街道を行く人が難渋するので、萬満寺ゆかりの高僧が鞍の形をした橋を架けさせると、以後大雨でも流されることがなかった。人々は喜び、鞍の形にちなんでこれを馬橋と呼んだ。今は鞍の形はしていない。