[ No. 21 ] 柏のM古市 furuichi◇nifty.com 発言日:2004/08/08 (SUN) 00:52:08 |
手元に1枚のコピーがあるのですが、残念ながら出典の記録がありません。このコピーはもともと明治時代の古市公威について調べたもので、同じページに古市胤子がありました。 フルイチタネコ 古市胤子(ふるいちたねこ) 1583-1658 後陽成天皇の後宮。父は播磨守古市胤榮(たねよし)。母は准三宮従一位近衛前久の女。天正十一年誕生。初め足利義尋(大乗院に居り高山と號し、のち還俗して義視といふ) で残念ながらこのページは終わっています。 なお、このページには古市澄胤もあり、[No.19]千葉のBUZANさんは『澄胤を「ちょういん」と読んで法名だとする説が一般的』と書いておられますが、記事には フルイチスミタネ 古市澄胤 足利時代の茶道家。圓城坊と號す。十五代将軍義昭に仕へ???この項、少しヘン、従五位下播磨守に叙任す・・・ とあり、「ちょういん」は誤用または愛称と思います。 逆なのが古市公威。ホームページの「書斎の雑記帳」[No.8]で紹介したように、大成建設の映画では古市公威(ふるいちきみたけ)としていますが、幼名は兵庫郎、通称・造次。諱(いみな)を孝粛、のちに改め公威、ということなので「こうい」が正しい。じつはこれは、本コピーがもとになっていて、 フルイチコーイ 古市公威(ふるいちこうゐ) と紹介されています。 |
追記:上記の書名は『平凡社・大人名事典』でした。原著は1953-1955 |