古市宗理について知っているわけではありませんが、少し調べてみましたので。
茶聖と呼ばれた千利休(1522−1591)が、茶祖と賞揚したのが村田珠光(1423−1502)でした。 そして古市播磨守胤栄・澄胤は珠光の弟子で奈良が本拠、古市宗庵は利休の弟子で京都が本拠です。その2つの茶道の「古市」の関係は証明するものがありませんが、地域的にも近いことから、何らかの関係があるものと推測しています。 古市宗庵は細川侯に仕えたために細川家の移封とともに小倉−熊本と移り、肥後古流・古市流の祖となりました。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/kokura/0410/ko_410_041001.htm に古市宗理の記事があり、 「足利義昭に仕えて一万五千石の古市播磨守から数えて十一代目。通称・宗理、号・自得斎。」 とあります。
「十一代目・自得斎」は古市播磨守流の系譜にありますが、名は古市勝芳。宗理の通称の記載はありませんでした。この流は今で言うと小笠原流、未得会(小笠原家茶道古流)、茶道古市流古市家(=北九州市小倉北区寿山町 福聚寺)となっています。 古市宗庵に始まる熊本古流古市家では、このころは第九代・古市宗栄が当主であったようです。 (茶道の系譜は「啓草社・茶湯手帳」から。ネットで購入できます) |