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談話室  第26話 日本はニホンかニッポンか
2008/12/31


24 邪馬台国の卑弥呼は・・・
25 日本の国号
26 日本はニホンかニッポンか

 西暦702年、中国の則天武后はわが国の主張を容れて国号「日本」を正式承認した。すでに前年までにわが国は国号を「日本(やまと)」とすることを正式決定していた。では大和朝廷時代の国号・「日本(やまと)」はいつごろ「日本(ニホン or ニッポン)」になったか、また「ニホン」と「ニッポン」のどちらが正しいのか。現在、国号・「日本」は「にほん」と読んでも「にっぽん」と読んでもよいことになっているのだが、敢えて追求してみたい。

 1  日本では自前の文字が発生する前に中国の文字=漢字=が入ってきて、それを使うことになった。しかし漢字は中国語を表記する文字だ。日本語表記には本来向いているとは限らない。それを日本人は懸命に使った。
(1) 古くはやまとことばに漢字を当てて記録や対外国向け文書に使ったが、国内で声に出して読むときはやまとことばだった。例えば
「やまと(倭・日本)」、「すめらみこと(天皇)」、「あまつかみ(天神)」などである(日本書紀より)。
(2) 従来の日本にない概念が中国から輸入されると、中国語をそのまま書き、読んだ。例えば
 593年には「四天王寺(シテンノウジ)」の造立が始まり、701年には「大学寮(ダイガクリョウ)」が設置され、694年の藤原京・710年の平城京では「三条大路(サンジョウおおじ)」・「二坊大路(ニボウおおじ)」などの条坊制が取り入れられた。
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 例えば、「はる(春)」、「なつ(夏)」、「あき(秋)」、「ふゆ(冬)」の概念は古来から日本にあったが、「季節」の概念はなかった。「季節」の概念が中国から日本にもたらされると、そのまま中国語で「季節」と書き、そのまま中国語で「キセツ」と読んだ。
 「季節(キセツ)」ということばは、中国語そのものを中国語で表記し、中国語で読んだものとご理解下さい。中国語を英語に置き換えれば、「Season (シーズン)」ということばを日本語の文章の中で書き、読んでいるのと同じこととご理解下さい。
 なお、明治以後は欧米語が入ってきた。インキ、コップなど。(漢字も仮名もやめて日本語表記をローマ字化しようという運動も起こったが幸い大勢の支持は得られず)表記は仮名だったが。



(3) 奈良時代ないしは遅くとも平安時代になると、元々の日本のことばであっても、中国語由来のことばのように音読みすることが流行となる。例えば
「源氏の君(ゲンジのきみ)」(源氏物語より)。また「平氏(たいらのうじ)」は「平氏(ヘイシ)」、「藤原氏(ふじわらのうじ)」は「藤氏(トウシ)」、「菅原道真(すがわらのみちざね)」は「菅家(カンケ)」と呼ばれるようになった。これらは「音読み」なのだが、「輸入中国語モドキ」、と言える。・・・こういうことが流行した。


 2  上の (3) の流れの中で「日本(やまと)」ということばの音読み化も始まった。奈良時代の日本における中国語の発音は「呉音」=朝鮮半島経由の訛のある古い中国語発音=なので、最初は「ニチポン NICHIPON」だったと考えられる。・・・当時は「は」行の発音は「P」の子音だったといわれている。
 呉音を継承する経典の読み方では、「日月」は「ニチゲツ」だ。「日」は「ニチ」しかあり得ず、「ニ」とは言わない。
 平安期の中国留学僧・最澄、空海らの帰朝後なら、「ジツホン JITSUHON」ないしは「ジツポン JITSUPON」と発音したかも知れない。それが唐の長安での発音で、「漢音」という。
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 インキ、コップなどが後にインク、カップと言うようになるようなものです。



 「ジツホン」は日本になかった「H」子音をうまく発音できた場合であり、「ジツポン」はそれが上手くできずに、どうしても日本流の「P」子音でしか発音できなかった場合だ。
実際中国では「日本」を「ジツホン JITSUHON」と発音し、または日本流と同じく「ジツポン JITSUPON」と発音し、やがてマルコ・ボーロが「Zipang」と記し、英語の「Japan」の元となった。

 3  上の 2.に書いたように、古代の日本語では、「は行」の発音は「P」の子音で、「パ・ピ・プ・ペ・ポ」と発音した。これが鎌倉時代頃には「F」の子音で「ファ・フィ・フ(FU)・フェ・フォ」となり、江戸時代になってから「H」の子音でようやく現代と同じ「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」に定まった。ただし、「フ」だけは江戸時代以後も「FU」だったと言われる (ただし英語の発音の「f」とは異なり、軽く唇を触れさせるだけの発音だ)。・・・しかし現代では、「フ」も「HU」と発音する人がほとんどではないだろうか。
 したがって、大和朝廷が作った国号・「日本」の、最初の音読み発音は「ニチポン (NICHIPON)」であったと考えられる。
 そして、「日本(ニチポン (NICHIPON))」は容易に「日本(ニッポン (NIPPON))」に促音便化したと考えられる。「日光菩薩(ニチコウボサツ (NICHIKOU-BOSATSU)」が「(ニッコウボサツ (NIKKOU-BOSATSU)」に音便化したのと同じことである。
 それでも「日本(ニッポン (NIPPON))」を仮名書きするときは「にほん」と書いた。小さな「っ」の表記法はまだなかったからだ。
 漢字で「日本」と書き、仮名文字で「にほん」と仮名書きし、そして「ニッポン (NIPPON)」と発音した・・・これが実際の所だろうと考えられる。
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 「日本」の表記は元来外国語である「中国語」、「中国語文字」の表記であることに注意されたい。今の日本の政府が外国に対して「Japan」と呼び、書くとしても、それは日本の正式国号ではない。漢字「日本」と書いても、あくまでも「にほん」または「にっぽん」と読むのが「やまとことば」=「日本のことば」での国号だ。
 5世紀には日本は中国の東晋・宋に朝貢し、日本国王は自ら「倭」、「倭王」と名乗ったが、これも上記と同じこと、日本の国号とは関係がない。日本の首相が欧米人に対して prime minister of JAPAN と名乗るのと同じことだ。



 4  仮名表記上の「にほん」は、「P」で発音していた「は行」音の「F」化・「H」化によって、「ニホン (NIHON))の発音を生んだ。新しい時代の発音方式であって、「字面」が生んだ発音と考えられる。

 室町時代末期にイエズス会が作成した日葡辞書(発行は1603年-1604年、長崎)が
Nifon ,  Nippon
の2つの読みを載せているのも矛盾しない。前者が鎌倉期以後の新しくできた発音であり、後者が少なくとも平安朝期以来の、古くからある発音である。

 5  では、わが国ではいつごろから「日本」を「やまと」とは読まなくなったか・・・これはわが国の都がやまと(大和)の地・・・奈良県・・・から出たとき以降であろう。都が山城(京都府)の長岡京、次いで平安京に移ると、わが国の国号「日本」を「やまと」と読むの不都合とする意識が芽生えたと思う。そして音読みの「ニッポン」と読むことだけが残った。これが仮名書きでは「にほん」だ。そこから仮名書きの字面にとらわれた、最初は「ニポン」、次に「ニフォン」、最後に「ニホン」という読みが発生したと思う。

 6  この項の結露論は、・・・「日本」の読みは「ニッポン」が本来のものである・・・である。ということ。
 ・・・以上すべて、私の想像・考察による結論でした。

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FURUICHI, Makoto