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談話室  第33話 都の香りする那覇
2012/06/21


 

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那覇は、都の香りがする。琉球王国の、王都の香りだ。

このような、『 都の香りする町 』は、わが国では那覇のほかには京都があるのみだ。
京都はわが国の千年の都であり、朝廷、寺社などの用を達するために、西陣織、友禅染、雅楽、舞踊・舞い、京料理、京菓子など、優雅な文化を作り、育てた。このような文化を指して、『 都の香りする 』 町と言った。
京都のほかには、古くは飛鳥、奈良、大阪(難波)、大津にも都がおかれたことがあり、今は東京が『 都 』であるわけだが・・・それぞれの町のそれぞれの文化は尊いものとしてあるのだが・・・『 都の香りする 』という訳にはいかない。
ところが那覇・・・それは元は首里の町なのだが・・・には、一つの王朝を支えた、都びた雰囲気の文化がある。不思議なもので、八重山のような、首里から遠く離れた地域の物産でも、首里天加那志 (すいてんがなし:首里の王様)に献上されたものとなれば鄙びた雰囲気ではなく、都びた香りがしてくる。

初日は那覇の 『 四つ竹 』 で、琉球舞踊と琉球料理

4月20日、妻と二人で沖縄を訪れた。妻は沖縄は初めて。そこで妻を琉球舞踊の店に案内する。
四つ竹 久米店 だ。
琉球舞踊の店の魅力は、まず(1) 琉球舞踊を堪能できること、次に、(2) 舞踊のバックには必ず音楽があるわけで、三線の音・謡を聞くことができる(普通は録音モノ)。三番目には(3) 踊り手の人は琉球の織物、女性の宮廷舞踊では、たいへん鮮やかな紅型(びんがた)染めの着物を着ているわけで、沖縄の装いが、動的に楽しめる。(4) こういう店では、宮廷料理的な、『 琉球料理 』をいただきながら舞踊を見るのである。(5) お料理は『 やちむん 』(焼き物=陶器)に盛られているので、壺屋焼が楽しめる、かも。

私の場合、那覇を訪れて先ず『 行きたい! 』と思うのは、琉球舞踊の店。・・・こういうお店は、同行の人に、その趣味があるかないかが問題。いままで仕事で同行の人とこの手の店に入ったのは、1回だけ。普通の 『 飲み屋さん 』 なら誰でも抵抗ないのだが。
あとは、一人で食事をすることになったとき。そういう 『 単独行 』 で2回。あわせて3回行ったことがあった。


そして、最後になったが、琉球料理を食べる以上は、
(6) 泡盛を当然のこととして味わうのである。この夜の泡盛は、お店の薦めに従って首里の泡盛、『 瑞穂 』とした。おいしかった。


このように、琉球舞踊の店で食事をすれば、総合的に沖縄文化に触れられる、というわけ。

ところで酒の話。沖縄の泡盛は鹿児島などの焼酎と同じく、乙類焼酎だ。南九州の芋焼酎もうまいが、沖縄の泡盛もうまい。泡盛はインディカ種のタイ米で作られる。地元のジャポニカ種の米ではなくタイ米をわざわざ選んだのは、それがうまい酒につながるからだろう。王宮の蔵に金を積み上げることに貢献する『 上等の泡盛 』には、少々費用が張ることには眼もくれないのが王室流だろう。南九州の焼酎とは原材料のちがいがある。沖縄の泡盛には上品なうまさがある。なかでも首里の泡盛には、都らしい、上品な香りがある。




次の夜は、残波岬ロイヤルホテルで、再びの琉球舞踊
残波岬ロイヤルホテルでは、夜、ロビーホールで、琉球舞踊を見る催しがあった。ホテルで夕食・・・今夜の泡盛は人気の久米仙にする・・・そのあと、売店を冷やかしたりしていると時間となり、琉球舞踊を鑑賞した。こちらはステージ前に並べられた椅子に座って、行儀良く見る。

左の写真は『 四つ竹 』の舞い。那覇でのお店のなまえが『 四つ竹 』だったが、本来は舞いのなまえ。
その那覇のお店・『 四つ竹 』での料理のなまえが『 貴花 』だったが、これももともと舞いのなまえ。『 貴花 』は『 ヌチバナ 』と読む。紅白の花を糸で綴って長いリボンにしたものを肩に掛けたり手に取ったりして舞う。かわいい舞いだ。

『 ヌチバナ 』とは、紅白の花に糸を通すので、本来は『 貫 』(ヌキ→ヌチ)で、字形が似た好字『 貴 』を使うようになったのではないかと思ったのだが、よくわからない。沖縄では『 貴 』の字を、普通に『 ヌチ 』というかも知れない。

沖縄では普通に『 貴 』を『 ヌチ 』と読むものとして、ひるがえってヤマトの方でそういう言い方はないかと探してみると、ある。
大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)・・・天照大神(あまてらすおおみかみ)の別称、大己貴神(おおなむちのかみ)・・・大国主命(おおくにぬしのみこと)の別称、がある。・・・大昔のヤマトでは『 貴 』は、『 ムチ 』だ。
ヤマトの都、奈良・京都から那覇まで、ざっと1200km。この距離を『 ムチ 』が運ばれていく間に、『 ヌチ 』になるくらいはあり得ることと思う。




追伸として、あまり紹介されない、沖縄らしいところ


首里城の奉神門。8時に首里城の駐車場にレンタカーを入れ、守礼の門で写真を撮って、ぶらぶら進むと奉神門で止められる。やがて”お役人さま”が3人出てきて、8時25分、中央の”お役人”が銅鑼を打ち、左の恰幅の良い”お役人”が『 ウケージョー 』と発声する。
開門だ。

他愛ないことだが、これも都の香りがする。
『 芸 』でもてなそうという心だ




ご存知、美ら海水族館のジンベエザメ

サメの写真はよく紹介されるが、サメを見るヒトの姿はあまり紹介されないと思うので


平和の誓い



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FURUICHI, Makoto