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古市の虹の書斎 河内から始まる、古市の系譜

Index
T.河内から始まる、古市の系譜
   1.河内の 『 古市 』 の地
   2.河内の古市氏
   3.摂津の古市
   4.近江、因幡、伯耆の 『 古市郷 』
U.伊勢の 『 古市 』。奈良から広がる 『 古市 』 。
V.とりあえずのまとめ
V.研究ノート
X .古市 Forum

2.河内の古市氏
  第16代 ・ 仁徳天皇が現在の大阪城の近くに高津の宮を開くまでは、 河内の国の中心地は志紀 ・ 古市 − 現在の藤井寺市 ・ 羽曳野市 − の地だった。 そして応神天皇の世以降、 多くの帰化人がこの地に住んだ。
  応神朝にこの地に住み着いた帰化人には、 西文(=カワチのフミと読む=)氏、葛井氏、船氏、津氏、馬氏などがある。 彼らの多くは朝廷の文官に登用されり、 水 ・ 陸運に関わる仕事に就いたようだ。 大陸から持ち込んだ、 高い文化が買われたのだろう。

  話がそれるが、 『 西文 』を『 カワチのフミ 』と読まされると、『 東漢 』を『 ヤマトのアヤ 』 と読まされるのを思い出す。 このころの畿内にあって、 東と言えば大和の国を、 西と言えば河内の国を指したのだ。 やがて文氏は首、 漢氏は直の姓 (かばね) を賜って、 それぞれ西文首 (かわちのふみのおびと) 、 東漢直 (やまとのあやのあたい) と名乗るようになった。 ( のち東漢氏は連の姓を賜って、 東漢連 (やまとのあやのむらじ) となる )

  さていよいよ古市氏の登場である。 古市氏は最初 『 古市村主 』 という形で登場する。「 ふるちのすぐり 」 と読む。 河内国古市郡古市郷より起こったとされる。
  『 村主 (すぐり) 』 というのは渡来人のうちの有力者に与えられた 「 姓 (かばね) 」 であって、 この姓が授けられたものが後に村の長になることはあっても、 村長職に就く者に与えられる職名や官名ではなかったとのことだ。

  この有力な渡来人 ・ 『 古市村主 (ふるちのすぐり) 』 が河内の 『 古市氏 』 となっていく。 その一族は百済虎王を祖とする、百済族と自称した。
  672年の壬申の乱で、 古市黒麻呂が大海人皇子 ( 天武天皇 ) 方について戦ったと書記にある。 古市村主の一族であったろう。
  中世に下って、 室町中期1450年代には、 再び河内国古市郷に起こる古市氏がある。 これは関東武士団の小野姓横山党の出自と自称したが、 その実は古市村主の末裔であろう、 とは 『 姓氏家系大辞典 』 の見解。 同辞典には 「 長禄寛正記に 『 江の原古市七郎以下誉田一族 』 を載せ、 又古市器丸等見ゆ 」 とある。 誉田 (こんだ) 一族とは、 室町時代の初期以来、 誉田八幡宮の神官を世襲し、 守護 ・ 畠山氏の有力被官として武士化していった、 「 応神天皇の末裔 」 と称する土豪である。 なおこの誉田一族は、 なんの因果か戦国時代に入った1497年に、 大和の豪族 ・ 古市氏に攻められて没落した。

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T.河内から始まる、古市の系譜
   1.河内の 『 古市 』 の地
   2.河内の古市氏
   3.摂津の古市
   4.近江、因幡、伯耆の 『 古市郷 』
U.伊勢の 『 古市 』。奈良から広がる 『 古市 』 。
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FURUICHI, Makoto   1999/03/01