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古市の虹の書斎 河内から始まる、古市の系譜

Index
T.河内から始まる、古市の系譜
   1.河内の 『 古市 』 の地
   2.河内の古市氏
   3.摂津の古市
   4.近江、因幡、伯耆の 『 古市郷 』
U.伊勢の 『 古市 』。奈良から広がる 『 古市 』 。
V.とりあえずのまとめ
V.研究ノート
X .古市 Forum

3.摂津の古市
(1). 摂津の 『 古市 』 の地
  現在の大阪市城東区に古市という町がある。 ここは古墳時代以降に河内の 『 古市村主 (ふるちのすぐり) 』 が進出したところだ。 この進出当時にはこの地も河内に入るのだろうが、 のちに摂津の国となるところ、 として 『 摂津の古市 』 という表題にした。
  摂津国東生郡古市郷という村は、 古代ではやはり 「 フルチ 」 と読んだ。 その村域は現在の大阪市都島区 ・ 旭区と城東区の北半分の地と考えられる。

  この村ができた頃は、 南西方向に河内湖の水面越しに現・大阪城のある丘を対岸に望み、そのすぐ北には、仁徳帝が開いた放水路−大川−が大阪湾に向かって開いている、そのような景観だったろう。 また一方では古市の村のすぐ近くには淀川がとうとうと河内湖に流れ込んでいたはずだ。

  日本の都が平城京、平安京と移るに従って、 南河内の古市の地は交通の要所としての機能を失い、 このために河内の古市氏が摂津に進出したものとおもわれる。 大阪の港から平安京へは船で淀川をさかのぼるわけだし、 平城京も木津川をさかのぼれば乃楽山 (ならやま) 越しのわずかな陸路で奈良の都に到達できる。 木津の町は、 奈良の都が必要とした寺院建築用の木材を、 近江の山から切り出しては筏に組んで流し、 そして都への最近地点で陸揚げした、 木のための川港だったろう。 こうしてみると、 摂津の古市の地は、 淀川が河内湖に河口を開くところのほど近くにあって、 平城京 ・ 平安京時代の交通の要所であったのではないかと思われる。

  なお、 大阪市旭区に 「 今市 」 があるが、 この 「 今市 」 の地名ができる以前から 「 古市 」 は 「 古市 」 であったようだ。 また古地図上の摂津の古市の位置は、
「 河内の古市 」 のページをご参照。

(2). 摂津の 『 古市 』 氏
  摂津の古市氏が河内の古市村主の系統であることは間違いないようだ。
  8世紀中葉の天平勝宝年代は、 摂津の国が河内から分立する途中経過として 『 摂津職 』 が置かれていた時代だが、 その時期の文書に 「 正六位上行大属古市村主寸食 」 の名があり、 摂津職の官吏となったものもいるようだ。 また別の文書では 「 布累致薬、 東生郡 ( 東成郡 ) 古市大戸麻呂ノ伝エル方 」 という記述があり、 薬の処方について、 おそらくは百済から持ち込んだ独自の伝統を持っていたと思われる。

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T.河内から始まる、古市の系譜
   1.河内の 『 古市 』 の地
   2.河内の古市氏
   3.摂津の古市
   4.近江、因幡、伯耆の 『 古市郷 』
U.伊勢の 『 古市 』。奈良から広がる 『 古市 』 。
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FURUICHI, Makoto   1999/03/01