京都府田辺町普賢寺にある、近世〜中世の山城跡と推定される 『 小田垣内遺跡 』 を発掘調査したところ、その下から14世紀〜16世紀初めごろの墓地と城館跡が出てきた。このため 『 小田垣内遺跡 』 は、その築城期が山城国一揆の最終期と重なることから、明応二年(1493)に奈良の豪族・古市氏がこの地にやってきて一揆を終息させた歴史と関係がある城址跡と考えられる。 というのも、奈良の豪族・古市氏は、各地に進出しては古い墓跡を埋め、土塁を作って小城を築いていたことがわかっており、同じ ”手口” の築城であることから関連づけられた。