日本書紀からの『ふるいち』研究ノート
1.半島渡来語説(1)

 姓氏録は河内諸蕃の一族として『古市村主(すぐり)』を挙げ、百済虎王より出づると解説する。また和名抄では各地の地名・『古市』の読みを『不留知(フルチ)』と註する。
 河内国には古市郡、古市郷がある。そこを本貫地とした『古市村主(ふるちの すぐり)』の一族は、百済虎王の末裔と称した。

 この一族は、百済から渡ってきたときすでに、自ら『フルチ』と名乗っていたのではないか?


 話が飛ぶが、古事記では天孫・『邇邇藝命(ににぎのみこと)』が天降った所を『竺紫の日向の久志布流多氣(くしふるたけ)』と記す。日本書紀では『筑紫の日向の高千穂の觸(くしふる)の峯』で、天降ったのは『瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)』と書く。

 ここで『くし』とは、朝鮮半島南部・慶尚南道 金海の「亀旨(クヂ)峰」を指すものといわれている。加羅の金首露王が天降った、といわれる、朝鮮半島の神話の山だ。
 では『ふる』の方は何か。

(1)古代朝鮮語に『鬼神火(キシンブル)』という言葉があり、「霊の火」を表すという説がある。
(2)古代朝鮮語では『村』のことを「フレ」と発音するので、『くしふる』は『クシ村』(=亀旨村)を意味するという説がある。
(3)古代朝鮮語では、『峰』のことをプリと発声したという。これがフリ→フルになったという。すなわち『フル』とは「峰」の意味だという。

 ここに挙げた3つの説をごちゃ混ぜにしてしまうのは問題があるかも知れないが、しかし天孫降臨の『くしふる岳/峯』とは何か、といえば、どうやら天孫が降臨した『神の峰』のこと、またはその後天孫が居を定めた『神の村』であるかも知れない。

 さて、古代朝鮮語では『フル』というのが『峰』あるいは『村』の意味を持つことがわかったが、『チ』の方は私の知識では説明できない。『主』の意味であれば『古市村主』ということからは都合がよいが。 →NEXT


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