日本書紀からの『ふるいち』研究ノート
2.古くからの市の町説(2)

 日本書紀に『市』の字が登場するのは『古・舊(=『旧』の本字)』の字よりもはるかに早い。詳しくは 日本書紀研究ノート(2) をご覧ください。

 ここでまずわかることは、
●『市』が言葉の頭に付くときは必ず『いち』(一部は『いつ』)と読むが、
●そうでないときは(A)『いち』と読むときと(B)『ち』と読むときがある。
ということである。
 岩波文庫の日本書紀では『古市・舊市』は『ふるいち』とふりがなが付けられているが、和名抄では『ふるち』という読みが伝えられている。
 そこで『古市・舊市』は『ふるち』の読みとして『市』の文字が先頭以外に来る言葉を整理すると、

『 ち 』と読まれるもの
吾湯市・年魚市(あゆち)、高市(たけち)、十市(とをち)、大市(おほち)、長尾市(ながおち)、海石榴市(つばきち)、舊市(ふるち)、朴市(えち)
『いち』と読まれるもの
餌香市(えか の いち)、阿斗桑市(あと の くは の いち)、粟津市(あはづ の いち)、輕市(かる の いち)

となる。ここで見ると、『ち』と読まれるものの方が『いち』と読まれるものよりも有名で古くからある、また大きい(広い)傾向があって、固有名詞化しているように思われる。これに対して『いち』と読まれるものは比較的新しいもので、『地名』+『の』+『いち(市)』と説明的である。


 人皇21代の雄略記(古事記)には、

倭のこの高市に小高る市の高處・・(やまとの この たけちに こだかる いちの つかさ・・) 実際には万葉仮名で「夜麻登能 許能多氣知爾 古陀加流 伊知能都加佐・・」とある

 という歌がある。

古代、小高いところや大木が生えている神聖な場所を選んで物品交換、会合、歌垣などをおこなった。そしてこのような場所や行事を『市』と呼んだ(小学館 日本国語大辞典 1975, )。

 古代人は物品交換、会合、歌垣などをおこなう場所に、まず神聖さを求めたのである。小高いところ、大木には神が宿ったのであろう。各地の市に宿る神は『市神(いちがみ・いちのかみ)』と呼ばれた。
 高市ばかりでなく大市、十市、そして古市でも、相当古い時代から小高いところを選んで市が立てられたものと思われる。 →3.の説へ


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